東京証券市場第一部伊勢丹デパートの1967年の当時の
新入社員の給料・・税込2万8千円をお考え下さい。
日産自動車初の大衆車・・日産サニーは、41万円です。
私は、玩具会社で税込3万円でした。
さて、当時の社会情勢は、金持ちと早い者勝ちの社会です。
金持ち日本人の見栄春ちゃんは、外車でゴルフ場に乗りつける。
次は、兎に角、輸入品を身に着ける典型は、外貨規制の時代に
アメリカ出張の記念と見栄の塊がローレックスの腕時計です。
か細い腕の日本人の腕に、大きな面構えのローレックスは、
押し出しが利くで、飲み屋さんの女給さんに大もてでした。
現実に、今でも・・そうでしょう・・日本人なんてこんなもんです。
亡くなった元東京都知事の青島幸男さんは、
若い頃の役柄が国鉄機関車の火夫役でした、
いつもの台詞は、江尻のガン鉄・・男でござる・・
若い私も、今に見ておれ~でした。
一方の大好きなカメラは、兎に角、ドイツのライカでした。
現金正価¥60万円でした。
日本人は、昔から日独伊でしょう。
今でも、ドイツのベンツとBMWに一目置くでしょう。
日本人は、出世、金持ち、特権、必ず、外国に目を向けるです。
今も昔も、休日や公園でカメラは、見栄の塊です
どうぞ・・ご覧ください・・能書きは、明日から当分続くです。
私の人生は、功成り名遂げた人の言葉の受け売りです。 1=アメリカの大統領選挙の方法で、すべては情報公開です 2=ケネディー大統領の演説は、いつでも、どこでも、誰でも願うことでした。 3=東京大学の加藤寛一朗名誉教授は、人生は、一つのことを好きであり続けよ!と仰った。 4=筑波大学大学院の山海義之教授は、人生は、好きなことならば死んでも本望だ! 5=文化勲章受章者の故中川一政氏は、人生は、他人から教えを受けることは、意味がない、私自身は自己責任で全てを決定しました理由で責任を他人に転嫁しません。 6=故菅原通済氏は、1ヶ月の給料を一晩で遊べ、人生感が変わるぞ!は真実でした。 7=故本田宗一郎氏は、免状では生活ができないそして本は嘘を言うので読まないことに私も従いました。 8=イギリスの諺は、一つで満足ならば、二つは要らないですが、私は逆に全てが複数を求めて、物事を対比して優劣を判断しました。 9=私の結論と究極は、私の人生の基準や原点・・「情報公開」に戻りますが、小説家の邱永漢さんは、日本人の秘密主義は物事の価格を公表しない、私が金額を明確して、現在に至るです。
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