私が自動車整備士の資格を取得したころは、
当時のアメリカのテレビドラマ、「私立探偵マイク・ハマー」
主人公の台詞が若いころに金銭を必死に稼せいで、
早いところ引退、リタイアーして、老後を遊ぶでした。
私もアメリカ人のような老後を望みました。
私は、遊ぶために、時は金なり・・time is moneyです。
私は、常に一匹オオカミで、誰の助けもなく、
他人の金庫を修理することが、文科系の大学で、
遊んで暮らして卒業、マイドの玩具のセールスマンでした。
私は、修理の手作業が大好きとは言え、
当時の流行語「チョッキのボタンの掛け違い」で、
金庫の修理が「誤魔化しが効かない」行き詰まりでした。
私は、親兄弟に金庫修理屋がダメで、二番煎じが
さらに、ダメです。
私がならば、しようがない、元来が他人に頭を下げることは、
大嫌いな私ですが、他人に私の頭を丁稚小僧のように下げて、
機械の集合体の自動車の修理技術を他人から習得すれば、
なんとか~なるだろう~・・と、意を決しました。
私は、元来が大好きな自動車のことの原理、原則を
勉強するので、私はまったく勉強に苦痛を感じませんでした。
私が小、中、高、予備校に大学の学校で勉強は、
計17年間がまったく、面白くね〜青春でした。
私が若いころの人生でほんとうに楽しかったことは、
東京都立足立専修高等学校・・自動車整備科の夜間部で
勉強したことでした。
勉強の途中に金庫修理の注文は、父親が職人は夜遊びで
いません・・ごめんなさい・・適当に言えば、大丈夫でした。
東京熊平金庫店殿からの電話は?当時の銀行金融業界が
夜9:00に早帰りなんてなバカげたことはありませんでした。
楽しかったですね〜兎に角、楽しいことを勉強するのです。
嫌々する勉強と違う好きなこと、さらに、本業の金庫修理に
役にたつ、さらに、授業料が無料だぜ!
私は、世の中にこんなことはあるはずがね〜でしたが、
あるのだかしようがないでしょう。
私は、だから、夜間に1年間の勉強で、自動車修理の資格・・
私に金銭があれば、自動車修理屋も開業は、『可能』です。
私がさらに、修理以上に幸せであったことは、
自動車修理に溶接作業が付きものです。
私は、溶接=アセチレンガス溶接の資格も頂戴したのです。
さらに、麻雀ならば役萬の危険物取り扱い講習済み証まで
頂戴しました。
私は、くどいのですが、本業が金庫修理屋で、
自動車修理の資格とガス溶接に危険物取り扱いの講習を
受けたのです。
私は、その気になれば、歌にありますが、
包丁一本さらしに巻いて〜・・どこの修理屋、鉄工所でも、
渡り鳥職人で食って暮らせる自信と誇りが湧き出ました。
私は、歌手、ちあきなおみさんの歌にありますが、
それは~・・、昭和46年(1971年)の春~・・、
敗戦から一貫した単一為替レート$ドル¥360の政策が
¥315に一挙に円高、ニクソンショックのときでした~・・。
私の人生は、功成り名遂げた人の言葉の受け売りです。 1=アメリカの大統領選挙の方法で、すべては情報公開です 2=ケネディー大統領の演説は、いつでも、どこでも、誰でも願うことでした。 3=東京大学の加藤寛一朗名誉教授は、人生は、一つのことを好きであり続けよ!と仰った。 4=筑波大学大学院の山海義之教授は、人生は、好きなことならば死んでも本望だ! 5=文化勲章受章者の故中川一政氏は、人生は、他人から教えを受けることは、意味がない、私自身は自己責任で全てを決定しました理由で責任を他人に転嫁しません。 6=故菅原通済氏は、1ヶ月の給料を一晩で遊べ、人生感が変わるぞ!は真実でした。 7=故本田宗一郎氏は、免状では生活ができないそして本は嘘を言うので読まないことに私も従いました。 8=イギリスの諺は、一つで満足ならば、二つは要らないですが、私は逆に全てが複数を求めて、物事を対比して優劣を判断しました。 9=私の結論と究極は、私の人生の基準や原点・・「情報公開」に戻りますが、小説家の邱永漢さんは、日本人の秘密主義は物事の価格を公表しない、私が金額を明確して、現在に至るです。
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