敗戦直後の日本人は、人間が生きるために農業、漁業に
林業のいわゆる第一次産業に従事(私が役人や子ども相手の
学校教育関係者ならば・・『した』・・)ですが、
私は一介の年寄アメリカ人ならば、リタイアメントした人間です。
私が・・と・・言うように、句。丸い卵も切りようで四角となり、
人間は、話し方で「角が立つ」のです。
完全な逆は、現在の日本人女性です。
・・男女同権で、女性は・・ああそうなんだ・・とか~
・・テレビのCMに、男が話すような口調やアクセントです。
・・と・・同じように敗戦直後の日本人は、生きるために、
簡単に安直に、戦艦大和と戦艦武蔵を建造した頭脳と
技術を使用すれば、河川に鉄橋を建設することなど、
句。赤子の手を捻る如く、簡単です。
逆は、誰が、どのようにして、建設資金を調達するか?
役人のその上の代議士の誰に、願い出るか?・・いわゆる・・
ソフトの面が非常に重要です。
私は、だから・・日本は、ある面が日本人ができることが少なく、
願うことが多くなったので、代議士と呼ぶ商売人が数多く生まれた
事実です。
一方は、日本人が個人で所有できる物体は、
(刀や鉄砲は敗戦で進駐軍からダメで禁止)大部分が、
23の私が最初に就職した、ブリキ細工の玩具です。
日本は、敗戦で『・・ある・・』のが人間だけです。
ドイツは、敗戦で『・・ない・・』のが人間だけです。
日本とドイツは、アメリカを相手に戦い、『同じ』、
『敗戦国』でありながら、まったく正反対なのです。
戦争で使用したカメラを作ってアメリカで売れば・・
儲かる・・と考えた「ドイツ人は、ライカ」を作った。
アメリカには、すでに、コダックのカメラがありました。
日本には、望遠鏡でカノン砲の砲弾が到達する
距離を計測する計測機器がありました・・が、残念ながら、
平和な時代に戦争の武器を民間平和産業に転換できる
知能と技術がなく・・あるのが・・スパイのような・・他人の猿真似が
得意なので、日本人と敗戦後日本は、すべてが他人の模倣を
最善と確信して、現在に至るです。
だから・・カノン砲は、カメラのキャノンとなったのでしょう。
ドイツのライカも作って儲かり、その後がどうした?
私のなぞなぞです・・。
私の現実は、大好きなカメラを原点や基準にして
現在の日本人の幸せを考える楽しさや道楽に趣味です。
私は、だから・・カメラの物体は何でもあれば良いのです。
私の楽しみの究極は、カメラできれいな風景や
鳥が飛び立つ瞬間を写すのではなく・・
写すカメラの物体を道具で分解して、中身を見て、組み立てる・・
フィルムを買って入れて、シャッターを押して、大体映れば
・・出来た~・・で、終わりです。・・カメラの現在に至るです。
私の人生は、功成り名遂げた人の言葉の受け売りです。 1=アメリカの大統領選挙の方法で、すべては情報公開です 2=ケネディー大統領の演説は、いつでも、どこでも、誰でも願うことでした。 3=東京大学の加藤寛一朗名誉教授は、人生は、一つのことを好きであり続けよ!と仰った。 4=筑波大学大学院の山海義之教授は、人生は、好きなことならば死んでも本望だ! 5=文化勲章受章者の故中川一政氏は、人生は、他人から教えを受けることは、意味がない、私自身は自己責任で全てを決定しました理由で責任を他人に転嫁しません。 6=故菅原通済氏は、1ヶ月の給料を一晩で遊べ、人生感が変わるぞ!は真実でした。 7=故本田宗一郎氏は、免状では生活ができないそして本は嘘を言うので読まないことに私も従いました。 8=イギリスの諺は、一つで満足ならば、二つは要らないですが、私は逆に全てが複数を求めて、物事を対比して優劣を判断しました。 9=私の結論と究極は、私の人生の基準や原点・・「情報公開」に戻りますが、小説家の邱永漢さんは、日本人の秘密主義は物事の価格を公表しない、私が金額を明確して、現在に至るです。
0 件のコメント:
コメントを投稿