私は、40数年前に、親の病気の足元を見て、現在就職活動学生の用語。玩具の営業販売職種からまったくの個人零細の金庫修理屋に転業したと言えば、聞こえが良いのですが、私の要は、毎日、東京都墨田区(町名改名以前の)石原町に存在する相撲部屋「井筒部屋」の前の米澤玩具の倉庫から玩具を、当時のトヨタ自動車が使用目的を一本に限定して大ブレークした貨物車「トヨエース」に満載して、JR浅草橋界隈の各玩具問屋にマイドの挨拶と納品受注が嫌なこったで「この会社を辞めました」です。
その後は、大阪の板前さんの歌詞。包丁一本~さらしに巻いて~・・ではなく、ハンマーとスパナーを~愚兄が購入した~「中古のスバル」に積んで~・・金庫の修理でした。
金庫修理屋を始めた24歳の若造の駆け出しの私が最高に苦労した修理仕事だったことは、金属に板に穴を開けることでした。
金属に穴を開けることは、簡単なようで難しい作業です。
だから・・通称がボール盤と称する作業道具は、工場と称する場所に一つや二つ必ず、必須道具です。
私の現実は、将来が工業方面を目指して教科書で勉強しましたが、実際はマイド、オオキニの商業からのある種が昔の浪人武士の生活方法で、ぶっつけ本番の道場破りでした。
以前は、電気ドリルを力任せに鉄板に押し付けて穴を開けるとドリルの刃がダメになる・・ちょうど・・料理の包丁が次第に切れなくなるのと同じです。
天皇陛下から文化勲章を賜った、故中川一政氏は、他人から教えを受けることは意味がないと言いました。
私は、さらに、物事が句。習うより慣れろがあります、が、逆に、聞くは一時の恥、聞かぬが一生の損ともあります、悩みますが、出来ることなら、幼い子どもにたとえるならば、義務教育を受けるべきと考えました。
私は、昭和45年の1970年に工業製品の塊である、子どもの頃から大好きな自動車の修理の方法を教える、無料の金庫修理の金儲けに支障のない夜間の東京都公立の我が家から北方6kmほどにある足立区の学校に27歳で入学しました。
人間は、嫌なことを勉強と称して机に向ってもダメ・・地面に座って、大好きなエンジンの部品を一つ一つ分解する・・楽しいな~・・です。
私は、母親からもう、いい加減にお嫁さんをもらいなよ~・・38~9のころに言われました・・そして、東京都立自動車修理学校クラス会が毎年どこかの温泉旅館で開催されて、教官が40までに身を固めろでした・・さもないと、お前の身に支障があると赤の他人や独身の女性から怪しまれるぞ!でした。
さらに、年下の妻子もちの同級生がクラス会の一泊旅行の宴会の最中に、伊藤さんは嫁さんがいるの~?
私がいね~よ~・・私は、酔いに任せて・・いいのがいたら・・もらうぜよ~!・・すると、妻子もちがいるよ!いるよ!俺の同級生で、俺の近所の西新井のお大師様の裏に住んでいるよ~!
自動車修理学校の年下の同級生の友だちは、ある種が昔の仲人大好きお節介爺さん婆さん気取りで、◎月△日の◇時に東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅前の喫茶店に行け!とお見合いデートのお席をセッティングをしてくれました。
私が行って、会って、話をすれば、私は、毎日、金庫修理の注文をいただきに日本橋の「クマヒラ」殿に行く、お見合いデート相手の少々年増のお嬢さんは、日本橋兜町の証券会社にお勤めなさっている・・何のことはない・・で、いわゆる、結婚適齢期でした。
そして、私が出した結婚の条件は、末永い二人の人生に於いて、邪魔で嫌いなうるさい餓鬼は必要ない・・昭和22年生まれの愚妻もああ餓鬼は、私の通った中学校が一つのクラスが55人でP組まであったと言って、有象無象の人間は、松竹映画。「男はつらいよ」主人公の柴又の寅さんの台詞。結構、毛だらけ猫灰だらけ◎◎の周りは◎◎だらけと、大笑いして、意見の一致でした。
結婚とは、年寄りが駅の階段から転げ落ちる光景を見て、誰でも可哀相だ・・思うのが当然です。
悲しみや可哀相だで、意見の一致は、私がダメと考えます。
私は、笑いの一致こそが、結婚の条件と考えます。
結婚するなら・・このような光景がい~な~です。
http://www.youtube.com/watch?v=KZxPCph0Bug&feature=fvw
が・・しかし・・根性曲がり私の現実は、結婚が人生のスタートであって、だれに、いつでも、着飾るものでないと考えて、現在は、消滅しましたが、葛飾区立葛飾公会堂の結婚式会場で式を挙げました。
亡き母は、亡くなるまで涙を浮かべて怒りましたね~・・新築の家を建て、住み、可愛い少々年増のお嫁さんをもらって、なにも・・チンケな葛飾のド田舎の公会堂でするこったね~・・でした。
私と同じようなお方は、毎週テレビに出演していた、日曜洋画劇場のニギニギ・サイナラ・サイナラの淀川長冶さんがお母さんに、海外旅行に行くよ!とお母さんの手を取って新幹線に乗車して、熱海駅下車・・船に乗って海外の「初島」に上陸・・お母さんの台詞。私をバカにするでないよ!淀川長冶さんの台詞。一生の不覚。
私の人生は、功成り名遂げた人の言葉の受け売りです。 1=アメリカの大統領選挙の方法で、すべては情報公開です 2=ケネディー大統領の演説は、いつでも、どこでも、誰でも願うことでした。 3=東京大学の加藤寛一朗名誉教授は、人生は、一つのことを好きであり続けよ!と仰った。 4=筑波大学大学院の山海義之教授は、人生は、好きなことならば死んでも本望だ! 5=文化勲章受章者の故中川一政氏は、人生は、他人から教えを受けることは、意味がない、私自身は自己責任で全てを決定しました理由で責任を他人に転嫁しません。 6=故菅原通済氏は、1ヶ月の給料を一晩で遊べ、人生感が変わるぞ!は真実でした。 7=故本田宗一郎氏は、免状では生活ができないそして本は嘘を言うので読まないことに私も従いました。 8=イギリスの諺は、一つで満足ならば、二つは要らないですが、私は逆に全てが複数を求めて、物事を対比して優劣を判断しました。 9=私の結論と究極は、私の人生の基準や原点・・「情報公開」に戻りますが、小説家の邱永漢さんは、日本人の秘密主義は物事の価格を公表しない、私が金額を明確して、現在に至るです。
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