私の人生は、句。温故知新で私の運命と思うのですが、何でも二つ・・対比ができました。
小学校のころは、母親とおばあちゃんがいて、母がああ言えば、おばあちゃんがこう言う・・で、私は兎に角、都合の良いほうに進みました。
父がああ言えば、おじいちゃんがいて・・と、兎に角、都合がよく生きました。
私は、結婚しても、母がいて、愚妻がいるから、世に言う、家事のことなどに一切まったく手を出しませんでした。
愚妻は、私の母がいるので、家事のことなど一切せず、現在は過去のバブル景気の崩壊の煽りを受けて、合併吸収と言えば聞こえは良いのですが、倒産して消滅した証券会社務めでした。
私ども二人がバブル以前の1983年に結婚して、愚妻は朝から私と一緒に母の作った朝食を食べて、ご出勤でした。
私の母は、昨日まで独身貴族でいた私のために、朝食を作って、私が母の作った朝食を食べて、クマヒラ殿に金庫の修理の手仕事を賜りにご出勤でした。
私は、私の母が愚妻をアラサーの独身娘が未だこの家にいると思えば、私が姑婆と息子の嫁の関係で・・新聞の人生案内やNHKの「となりの芝生」のように、恨み、憎しみ合うこともないと思いました。
そこで、私が超画期的な温故知新で考えたことは、大体が考えの似通ったもの同士は、句。愛憎相食む・・で、上手く生きることができません。
敗戦前の日本は、世界の列強の国々と植民地争奪戦を繰り広げた理由で、第二次世界大戦が勃発しました。
その後は、考え方がまったく違う・・資本主義大国のアメリカと共産主義大国のソ連邦と喧嘩や戦争がありましたか?
不幸な戦争を経験した人々は、「冷戦」と呼ぶ・・スマート爆弾を投げ合うような知的な戦いを繰り広げたのです・・現在も立場が変わりましたが共産主義大国の中国は、老人大国に日本に対して無理難題の爆弾を投げましたが、日本人は相変わらずの方法でお涙頂戴と泣き言にボランティアに明け暮れです
私は、知能溢れる超大国の考え方に、句。右へ倣えで、私が母親と愚妻に井戸端会議のようなテレビドラマのような、ほのぼの家族のような、お喋りを一切禁止しました。
我が家は、父親が現在は消滅しましたが、伊藤金庫店の電話番と店主。
母親は、昔気質の一家の仕事労働着・・の・・割烹着を身に纏った台所の主と婦。
愚妻は、アラサーの今流行の言葉。キャリアーで証券カウンターで電話とビジネスでした。
ご近所さんが言うことは、金庫屋さんの息子さんの私が自動車に修理道具を載せてガテン系の労働者でした。
私たち我が家の父、母、私と愚妻の4人は、持ち場持ち場がはっきりしていました・・幸せでした・・現在が当事者たち半分の人間と労働した基準である金儲けが消滅しましたが、幸せです・・現在の世の中には、一億人以上の人々が人それぞれにいろいろな方法で夢と幸せを求めて、暮らしていますが、私の選んだ求めた方法です。
私の人生は、功成り名遂げた人の言葉の受け売りです。 1=アメリカの大統領選挙の方法で、すべては情報公開です 2=ケネディー大統領の演説は、いつでも、どこでも、誰でも願うことでした。 3=東京大学の加藤寛一朗名誉教授は、人生は、一つのことを好きであり続けよ!と仰った。 4=筑波大学大学院の山海義之教授は、人生は、好きなことならば死んでも本望だ! 5=文化勲章受章者の故中川一政氏は、人生は、他人から教えを受けることは、意味がない、私自身は自己責任で全てを決定しました理由で責任を他人に転嫁しません。 6=故菅原通済氏は、1ヶ月の給料を一晩で遊べ、人生感が変わるぞ!は真実でした。 7=故本田宗一郎氏は、免状では生活ができないそして本は嘘を言うので読まないことに私も従いました。 8=イギリスの諺は、一つで満足ならば、二つは要らないですが、私は逆に全てが複数を求めて、物事を対比して優劣を判断しました。 9=私の結論と究極は、私の人生の基準や原点・・「情報公開」に戻りますが、小説家の邱永漢さんは、日本人の秘密主義は物事の価格を公表しない、私が金額を明確して、現在に至るです。
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