日本人の人生は、私は12年前に始めましたが、
パソコンのエクセルとワードに尽きます。
そして、さらに、去年のクリスマスに購入した、アップルの音楽と
映像です。
人間は、エクセルの表計算で、表記が可能でしょう。
それは、誕生日から棺の蓋を覆うて事定まるを縦軸にして、
最低の単位が時間で、年月日を記入。
横軸は、最低が出身校や就職に収入に役職名や転勤先を
記入すれば、膨大な一枚の表計算のソフトやフォーマットが
完成します。
ワードは、西洋アメリカ白人の文字AtoZの文字に、
!や?マークを使用や利用すれば、どのような表現か可能か?
ソフトやフォーマットでしょう。
人間は、心の気持ちの丈を表現するのに、表のエクセルや
文字のワード、ばかりでなく、絵や図でも表現します。
そして、残りは、民謡やインディアンの太鼓の音でも表現が
可能です。
日本人は、なんのことはない・・西洋アメリカ白人が考えたことを
使用や味噌醤油、ラーメンの手法で幸せを求めているのです。
私は、早速、エクセルを使用します。
1943生まれの私は、1959年9月6日に運転免許許可証を
取得するために、品川区鮫洲の運転免許試験場に、行った、
合格そして、当時は、最初が東京都千代田区、日比谷公園で、
その後はず~と、中央区の晴海地区で開催されました。
私は、東京自動車ショーに、父親の新生・・三菱自動車製
シルバー・ピジョン号と呼ぶ、2輪のスクーターで、凱旋将軍と
化して、乗り込みました。
私は、今でも、その当時の感激は、忘れません。
16歳までは、常に、6才年上の愚兄の手下、鞄持ち、子分でした。
総排気量250㏄までの2輪車を公道で私自身が独りで、
運転、走行、可能な、軽自動車運転免許証を手にしたからには、
俺が天下を取った・・天下人だ~・・の気分でした。
2輪車の運転は、15才の中学3年のときから無免許です。
私の運転実技は、免許取得した人間と伍して街中を
運転したことが同じです。
法規は、赤が止まれで、青は進めで、黄色が注意して、
進めです。
運転する日本人は、規則を守ることは、同じです。
私は、今でも考えます、故本田宗一郎氏の言葉。
資格や免許で、飯が食えないです。
私は、16歳の誕生日・・正確には、16歳と10日まで、
無免許運転で、スクーター運転して、交通事故を起こすことなく
運転を楽しんだのです。
その後は、紙っぺら一枚の運転免許許可証を
お上の東京都公安委員会から与えられた・・だけで、
現在に私が至るです。
私の人生は、功成り名遂げた人の言葉の受け売りです。 1=アメリカの大統領選挙の方法で、すべては情報公開です 2=ケネディー大統領の演説は、いつでも、どこでも、誰でも願うことでした。 3=東京大学の加藤寛一朗名誉教授は、人生は、一つのことを好きであり続けよ!と仰った。 4=筑波大学大学院の山海義之教授は、人生は、好きなことならば死んでも本望だ! 5=文化勲章受章者の故中川一政氏は、人生は、他人から教えを受けることは、意味がない、私自身は自己責任で全てを決定しました理由で責任を他人に転嫁しません。 6=故菅原通済氏は、1ヶ月の給料を一晩で遊べ、人生感が変わるぞ!は真実でした。 7=故本田宗一郎氏は、免状では生活ができないそして本は嘘を言うので読まないことに私も従いました。 8=イギリスの諺は、一つで満足ならば、二つは要らないですが、私は逆に全てが複数を求めて、物事を対比して優劣を判断しました。 9=私の結論と究極は、私の人生の基準や原点・・「情報公開」に戻りますが、小説家の邱永漢さんは、日本人の秘密主義は物事の価格を公表しない、私が金額を明確して、現在に至るです。
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