私の趣味や道楽は、子どものころは祖父が使用していた万年筆を正月の「お年玉」の代わりにもらいました。
以後・・約60年間・・今では、数多く買い集めた世界で有名な万年筆にインクを少々入れて・・文字を少々書く・・汚れた・・ペン先をきれいに・・洗おう・・究極的な洗浄が私の趣味・・自動車修理の楽しみで購入した、圧縮空気・・エアーコンプレッサーで・・シュー・・シュー・・シュ・シュ・終わりです。
子どものころは、借地に住んだ我が家の近所の大家さんがオーナーでした・・洋画専門映画館で見た・・聞いた光景を現在がパソコンのYouTubeで見て、聞く・・終わりです。
子どものころは、父が持ち、私の姿を映したカメラを私が中学3年の修学旅行で持ち、京都奈良の風景を写して・・数多くのカメラを買い求めて、分解して、組み立て・・終わりです。
子どものころは、祖父が使用していた懐中時計を祖父から中学入学祝いに、貰って・・毎日きれいに私の顔が写るように磨き・・終わりです。
子どものころは、進駐軍の黒人兵がジープに乗って・・来て・・指先を器用に曲げて、場所を尋ねるので・・究極が乗せてくれたら・・教えてあ~げる・・OK・・OK・・でした。
現在は、私が倒産したチンケなジープなんてな自動車なんぞ!を相手にせずに、一時は、世界一最速で、パリ・ダカール・ラリーで優勝した自動車のレプリカを購入して、乗って、あるいは、当時が日本一高価な自動車でしたが・・東京の銀座通り行くチンケな自動車なんぞ!を睥睨して・・終わりです。
私は、以上のように、子どものころにこれが幸せだ!と思い、実際に手にした物体に幸せを求めた理由で、日本の世の中の物事はすべてが改良・・改良・・と進歩発展するものであると認識できます。
と・・同じで・・子どものころに聞いた話と現実は、日本人はアメリカ人にまったく「戦争をこれから開始」するぞ!と宣戦布告をせずに自分勝手に「戦闘状態に入れり」で日本人は、アメリカ人が考え作った「原爆の竹箆返し」で不幸を味わうのです。
そして、今日・・11月3日・・文化の日・・読売新聞の1面は、他国のロシアの大統領が自国のロシアの土地・・ロシア大陸の極東の地域を旅行したことに、日本国が反対して、中露大使を一時帰国させた・・私は日本人のいい加減さを感じました。
私の信念は、日本人が「うそつき」人間だ!・・信用するな!物事は、自分自身の頭脳で考えろ!です。
私の人生は、功成り名遂げた人の言葉の受け売りです。 1=アメリカの大統領選挙の方法で、すべては情報公開です 2=ケネディー大統領の演説は、いつでも、どこでも、誰でも願うことでした。 3=東京大学の加藤寛一朗名誉教授は、人生は、一つのことを好きであり続けよ!と仰った。 4=筑波大学大学院の山海義之教授は、人生は、好きなことならば死んでも本望だ! 5=文化勲章受章者の故中川一政氏は、人生は、他人から教えを受けることは、意味がない、私自身は自己責任で全てを決定しました理由で責任を他人に転嫁しません。 6=故菅原通済氏は、1ヶ月の給料を一晩で遊べ、人生感が変わるぞ!は真実でした。 7=故本田宗一郎氏は、免状では生活ができないそして本は嘘を言うので読まないことに私も従いました。 8=イギリスの諺は、一つで満足ならば、二つは要らないですが、私は逆に全てが複数を求めて、物事を対比して優劣を判断しました。 9=私の結論と究極は、私の人生の基準や原点・・「情報公開」に戻りますが、小説家の邱永漢さんは、日本人の秘密主義は物事の価格を公表しない、私が金額を明確して、現在に至るです。
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